おことば 戦後皇室語録★★★

10年から15年前のこと。新聞の文化欄か論壇だったと思うが、最近文士が美男子となったという記事が掲載されたことがあった。曰く、かつては文芸は不細工がするものであったが、最近はそんなことはない。その筆頭に揚げられていたのが、この本の著者、島田雅彦であった。

今から数年前のこと。イタリアからの飛行機で、著者らしき人を見かけた。(本当に当人であるかは今でも判然としないが。)「あの人って島田雅彦じゃない?」と同行した友人に話しかけたところ、「島田雅彦って誰?」のと問われた。さすがに「顔のきれいな文士」というのも間が抜けており、とはいえ、「『なんとかなサヨクのためのなんとか曲』を書いた人で芥川賞の候補にしょっちゅうなっていた人だよ」と答えるのもなんだかねと思い、純文学の作家であることのみを伝えた気がする。

そうした程度の情報(イケメンの純文学系の作家)しか持たなかったので、この本を図書館で見かけたときに、この人ってこういう仕事もするんだと思い、好奇心で手にとった。考えてみると、この人の書いたものを読んだのは、あとがきとか、解説とか、対談とかを除けば初めてかもしれない。

本書の内容はと言うと、昭和20年8月15日から現在に至るまでの皇室関係者のおことばと掲載するとともに、それについてのコメントを著者が行うというものであるが、このような形式の場合、通常評価のポイントとなるのは、どのおことばを選ぶかという点と、それにどうコメントをつけるのかという2点である。
その意味で言うと、前者は及第点、後者はそれほどでもないように感じられた。というか、本書を読み終わってから、印象深かった箇所を思い起こすと、それは、著者が書いた部分ではなく、著者が引用した皇室の方々のお言葉のほうである。特に、美智子妃の聡明さ。この方が皇太子妃となって、また皇后となって本当によかったという著者の思いは、私にも伝わった。

まだ小さな子供であったときに、一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことがありました。不確かな記憶ですので、今、恐らくはそのお話の元はこれではないかと思われる、新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」にそってお話いたします。そのでんでん虫は、ある日突然、自分の背中の殻に、悲しみが一杯つまっていることに気付き、友達を訪ね、もう生きていけないのではないか、と自分の背中に背負っている不幸を話します。友達のでんでん虫は、それはあなただけではない、私の背中の殻にも、悲しみは一杯つまっている、と答えます。小さなでんでん虫は、別の友達、又別の友達と訪ねて行き、同じことを話すのですが、どの友達からも帰ってくる答は同じでした。そして、でんでん虫はやっと、悲しみは誰でも持っているのだ、ということに気付きます。自分だけではないのだ。私は、私の悲しみをこらえていかなければならない。この話は、このでんでん虫が、もうなげくのをやめたところで終わっています。

引いてみて改めて、すばらしいと感じた。
そして、自らの言葉が薄っぺらに感じられてしまう危険も十分察知していつつも著者がこの文章を選びコメントしたこと、また、「雅子妃がまた新しい世代の言葉を獲得することには大いに期待が持てる」と結んでいることは、もっと評価されてもよいと思った。