杜の都殺人事件 (角川文庫)

S62刊行なので、政令指定都市に移行する前の仙台の様子が描かれる。そのため、区名がないのが今から見ると新鮮。
−P6

仙台市の観光業者に対する指導は徹底していて、押し売り、勧誘のたぐいは、ごく軽微なものであっても禁じられている。(p6)

などからは、現在との違いを感じさせられる。

仙台からは仙石線というローカル電車に揺られて行く。仙台までの新幹線が快適なのと、あまりにも落差がありすぎるせいか、仙石線の貧弱さとノロさには辟易した。途中、松島の近くを通るのだが、地上を這うように走るせいか、窓からの眺めはお世辞にも風光明媚とは言えない。(P17)

仙石線も、このころには地下化されていなかった。(地下化されたのは、平成12年3月)

杜の都」仙台を一度見ておきたいと思うのは当然ではないか。それに、仙台は地方都市としてはよく整備されていると聴いた。ことに、最近はやりのコンベンション・シティへの道を歩もうとしている都市としても、仙台は神戸などと並ぶ一つのモデルケースだそうだ。(P24)

昭和60年代から平成初期にかけて「コンベンション・シティ」という言い回しがはやったことが分かり興味深いが、神戸等と比較される都市として掲げられているのが面映い。

東北新幹線の開通と同時に、仙台駅はすっかり衣替えした。元はねずみ色の陰気くさい建物だったのが、オレンジ色の明るいビルに変わり、駅前広場も整備された。その変遷については清水は知らないが、駅を出た時の第一印象はすこぶるよかった。駅前広場は車の乗降用の平面と、その上にせり出した歩行者用の長大な回廊との、二重の設計になっている。上層の回廊に立つと、仙台市街の中心部と対峙する形となる。
杜の都」と呼ばれるのに相応しく、駅正面のメインストリートは、県の木であるケヤキが三条に続く並木道だ。(p34)

−p37
−p64

観光や遊びの面から仙台の特色を一言で言うと、「どこでもあそべる街」ということになるかもしれない。仙台は総面積237平方キロ、人口約70万の大都市だが、中心部の市街地と郊外の住宅地域や工業・農業地域との色分けは、めりはりが割とはっきりしている。仙台駅から西へ、青葉城址までと、南は広瀬川から北は東北大学農学部あたりまでの市域が、ほぼ旧市街地にあたり、大抵のあそび場所はその中に分散していると思って、大過はない。
中心部は青葉通り、広瀬通りという二つの東西にのびる並木通りと、かの有名な一番丁通りとが交差する周辺だが、仙台らしい雰囲気に浸かりたいと思えば、市街地のどこへ行っても、ぜったい失望することはない。そこが仙台のきわめて特徴的なところだ。
そういうのは、もしかすると京都あたりとあい通じる点かもしれない。京都は全市が観光資源といっていいようなところだし、歴史の重みという点で比類のない孤高の地であるから、京都人にしてみれば、仙台なんかと比較されるのは心外なことかもしれない。古い京都人は、京都に行くことを「上洛」などと言って、東京をさえ下風に見るほど気位が高い。
そこへいくと、仙台は戦争で丸焼け同然になった、いわば「新興都市」のおもむきのある街と言っていい。だが、住人の心意気ということからすると、どうして、なかなかの矜持なのである。伊達政宗以来350年の伝統はあるし、旧帝国大学系の東北大学をはじめとする文教施設も充実しているし、気候風土もまず申し分ない。仙台人の多くは、仙台こそが日本で--いや、世界で最も住みやすい土地だと信じているし、また、そうあるべく、官・民あげて努力を惜しまない気風を持っている。
何よりも、仙台は清潔感あふれる街だ。繁華街といえども、小ざっぱりしていて、気持ちがいい。仙台駅に降り立った旅行者が、爽やかな第一印象をいだくのも、決していわれのないことではないのだ。(p71-72)

  • p88
  • p89

仙台から奥羽山脈を越えて山形県に行く道路は三本ある。一つは前述した関山トンネルを抜け、将棋駒で有名な天童市へ達する国道48号線。二つ目は仙台からほぼ真西へ、笹谷トンネルを抜け、山形市に達する国道286号線。三番目は蔵王越えの観光ルート・蔵王エコーラインで、これは上山市へ下りる。
この三ルートの内、蔵王エコーラインは別物として、かつてはほとんどの往来を国道48号線によっていた。
国道286号線は通称「笹谷街道」といい。仙台−山形を結ぶ最短距離のルートだが、標高906メートルの笹谷峠という難所を越えなければならなかった。もちろん、豪雪地帯で、冬期間の通行は不能。夏でも九十九折の悪路は、よっぽどの物好きでもない限り敬遠して多少の遠回りは覚悟の上、国道48号線に回ったものである。
国道48号線は、仙台から関山峠までを通称「作並街道」といい、名前のとおり作並温泉通って行く。