平安朝の漢詩と「法」―文人貴族の貴族制構想の成立と挫折

漢文を真面目に勉強していないとちょっとつらい。。
一応、一章は読み終えたが、図書館の返却期限の関係で返却。このままだと未読本かな、かなりの確立で。

博士論文ということで長い論文を書くのがはじめてだからなのかもしれないが、順序がもう少し整理されていれば読みやすいのに。と思われる箇所があった。(読みにくいと感じるのは、高校時代日本史を選択しなかったので、こちらの常識が足りない部分も大きな原因ではあるのだが。)

「宮廷社会においては、君主との個人的関係によって官位とは異なる序列が決定されるのであり、ここで良い地位を得るには、君主の寵を得ることが不可欠であった。しかも君寵を得ていることを他の貴族の前に示すことができれば、彼らからも一目置かれ、結果的に優位に立つことができる。つまり、宮中の宴のような衆人環視の場で嵯峨の気に入るような詩を読み賞賛されることが、彼ら宮中貴族にとっては自己の地位を上昇させる重要な手段だったのであり、それゆえにこそ、嵯峨の詩、あるいは嵯峨の好む中国の詩を必死で模倣したのだと考えられる。」(pp46−47)

という文を読むと、「つまり」の前までの文章は理解可能だが、なぜ「つまり」以下の文につながるのかがわからないのだよね。君主の恩寵を得るためには、詩歌に限らず歌舞音曲のどれでもよさそうなのに、この時代以降詩歌、特に漢詩の能力が必要とされる理由がピンとこない。。。
また君主の歌を模倣しなかったり、あからさまに君主に媚を売らないような漢詩を作成する人々についての言説があるが、漢詩の中で媚を売らないからといって立身出世に縁がないとするのは判断が早急ではないかとも感じた。

まあ、最後までゆるゆると読み進めれば分かるのかな。