失ったのは、HOMEだったのか?

生と命の街へ
名古屋で行われた標記シンポジウムを拝聴するとともに、LOST HOME〜失われた街〜を見に行った。
このシンポジウムの存在を知ったのは、3。11の直後、建築家はどう対応したのかという展示を見たから。で、その展示を知ったのは、diaryの告知を見たからということで、因果(?)はめぐる。

シンポジウムを見る前にとなりの会場で行われていた「LOSTHOME」を見る。三陸沿岸のいくつかの街の500分の1の大きさの模型があり、東日本大震災前の現地の様子がわかるもの。
陸前高田は野球場が、気仙沼には魚市場がしっかりとあり、ありし日のことを思い出させる。
仙台の荒浜の深沼海水浴場のあたりの模型もあり、これは深沼橋だな、なんてさぐりながら建物が立ち並ぶのを見ていた。聞くともなしに聞こえてくる朗読劇の音が、考えをいだく邪魔をする。
というか、僕たちは、街を失ったんだろうか。形となって見えるのは建物。建物の集まりの集落。この集落は、今はない。だけど、けれども、